福井県 佐田浜、坂尻
2日3日福井へ行ってきました。皆と都合が合わなかったため1人で行きました。
自分のクルマはステーションワゴンですが、1人分の釣り具を積むだけならリアシートを前に倒せば体を伸ばして寝るスペースはつくれます。しかしゴムボートも乗せてしまうとそれは無理で、助手席で寝るしかなくなる。天気予報を見る限り、1日目はヘボゴムボーターでもボートが出せそうだったのでやっぱり持っていくことにしました。しかし助手席での仮眠は辛い。昔は野宿得意でしたけど、この歳になって公園とかにテント張るのもどーかなーということで、安いビジネスホテルにでも泊まろうと決めました。そんだけ釣りに掛けていたのだが、、、
1日目、朝飯食べてから出かけて、日曜と同じ佐田浜沖テトラで10時半過ぎから6時ちょっと前までやりました。最初に乗ったテトラ帯が芳しくなく、3時前に別のテトラ帯へ移動しようと荷物を纏めるためにテトラの上を歩いてるときトラブル発生。右足ふくらはぎが「ベキッ!」というではあーりませんか。(生まれて初めて聞いた)
『うわっ、マズイ、、、完全にいってしまった。サッカー現役時代から肉離れどころか、足がつったことすらないというのが自慢だったのによー。よりによってこんな場所で、、、エ〜ン、エ〜ン』 GW前半は釣りに行った以外ほとんど家でダラダラしとったからなー。その報いでしょうか?(涙、、、)
なんとか別のテトラ帯に移って釣りを続けたものの、次第にウネリが気になりだし、右足に力が入らないためバランスもとり難いので早めに止めて無事撤収。チヌは何とか2つという貧果に終わりました。(40センチ級の太いサヨリもいくつか釣れた)
浜に戻ったら足を引きずりつつ、ゆっくり荷物運んだりボートを畳んだり。『う〜ん、こんなんで明日釣りなんて出来るんかいや?』 そのまま帰ることも考えたけど、エサも余ったしとりあえず泊まって様子見てから決めることにした。
翌日朝、歩くのが少ない渡船利用を考えていたらエサ屋さんが「波が1.5メートルになるから途中撤収になる磯が多い」というので止め、もともと永坂さんと釣りする予定だった坂尻の地テトラに行くことにしました。ゆっくり歩いて準備し、朝6時半ごろからはじめました。
最初完全なベタ凪ぎでテトラ足元の砂利浜は普通に歩ける状態。海藻などの様子は丸見えなので、食い気のあるチヌがいれば当然釣れるだろうという場所にコマセを集中しますが気配なし。ボラ太郎も寄らず。隣で釣っている人も同じような状況が続きました。でも美味しいガシラくんは釣れるので喜んでやっていました。
10時過ぎたら徐々に波気が出て来ました。そして11時過ぎに寝坊して出発が遅れた永坂さん登場。それに合わせるように海は荒れ出しテトラを波が洗うようになっていき、自分がコマセ切れで止めた2時前には完全にど荒れ状態。
永坂選手は海がこの状態になることを見越して今日の釣り場を選定したらしく、「風向きが予想と違って釣り辛いけど、必ず釣れる」と宣言した通り、道具を仕舞っている自分の横でひとつ目のチヌ様をゲット。
彼はやっぱり「永坂選手」だと思うなー。彼が釣り始めた時私は釣りの手を止めて隣に立ち、アプローチの様子を見ながら気づいたことについて質問したのですが、全ての答えが明確。釣り場の決定も含めて漠然と釣りをすることがない。 『なるほど〜、そういうことか〜』と感心しました。彼にとってはチヌは完全に手の中にあるサカナという感じです。また勉強になった。
私レベルだと自分の成功体験?にしがみつき、釣り方はワンパターンになりがちだけど、永坂選手は状況を見極めて繰り出す技の引き出しの数が違う。だから名人なのです。
さて、クルマに戻るにはテトラ帯の上にある普通に歩けるところへ自分の背の高さくらい這い上がらないといけません。まず荷物を上にあげて、自分が上がるために両手を上の段?にかけてジャンプ?した時、また右足がベキッ!我ながら『アホやなー』という感じです。
帰り道また名古屋市内の釣具屋に寄って夕方6時前自宅に到着。すると永坂さんから電話があり、当日はワカシオ軍団の釣り大会だったため検量時間の関係で5時で止めたのでチヌは4つだったけど、あのまま続けていれば2桁は確実な海況だったとのことです。
また他の釣り場へ出かけた仲間からも当日の釣果連絡が入りました。知多半島中洲へ行った剛腕F紙は山海サイズのチヌ4つでひとつ大きいの掛けたけど切られてバラシ。Mさんは山海で夕方35センチ級のチヌひとつ。知多半島は強風だったらしいけど2人ともしっかりチヌ釣ってます。これは「あっぱれ!」でしょう。
めでたくもあっぱれでもないのは俺だけというGW後半の釣りでした。 涙、、、
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